20260616 山さんブログ その-140 - 【静岡県東部エリアの不動産売却】センチュリー21ワンズエステート

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20260616 山さんブログ その-140

…2ヶ月弱で回ってきたブログ当番週の2日目は、愛読する月刊誌「致知」からの抜粋です…

…読むにつけ、毎号、う~っん(-_-;) と唸ってしまうことが多いのですが、今回はとある記事で「ハッ」と築かされたフレーズに出会いまして、しばらく考え込んでいましたね…いえね、ナンテこと無いと感じればそれまでなのですが、私の老化した心には引っ掛かりましたね…

…「致知」の記事中、脳神経科学者の小泉英明さん(MRIやMRAの開発者でもありますよ)の体験的思想として、人間が幸せに生きるために最も大切なのは「感謝の心」だとつくづく実感しています…と吐露し、その後、このように締めくくっています…

…もちろん、左側の人ですよ…右側は著名な阿川佐和子さんですね…

…200年ほど前のドイツ人哲学者、「エマニエル・カント」が晩年に著した「人倫の形而上(けいじじょう)学」という書物の中でこのように説いています…

幸福を追求することは自己の権利であり、同時に他者の幸福を追求することは自己の義務である…と言うのです…

…いや、誌面を見詰めながら、ぺーじをめくる手が止まりましたね…人それぞれ、感じ方が違うでしょうが、後半のフレーズに固まりました…他者の幸福を追求することが私の義務…んっ~(-_-;)って感じで…

…で、この小泉さんが、あるとき、高名な東洋の宗教指導者(名前は書かれていませんが、おそらくダライ・ラマかと考えている山さんです)と対談することがあり、「倫理とはなんですか?」と投げかけると、しばらく考えてから…「温かな心」と答えたそうです…個人的には、「人として有るべき道」として認識していた私は、ここでもフリーズ(@_@)…、しばし、口ずさんでいましたね…「倫理とは、温かな心…か…」成る程ナ~、、、

[致知]7月号の35ページ目より

…で、このぺーじを後にして数ページ後、昭和18年福島県生れの「原田義之」さんの実践ボランティアの記事では、随所で落涙しておりました…タイの山岳貧民のサポートに自費を投じる実践派…この笑顔…「温かな心」そのもではないか…と、35ページ目に戻ること、2度…

…ここは、「致知」の記事を転写します…

  • タイ国チェンライロータリークラブ元会長原田義之

行動でする奉仕が子供たちの未来を開く

タイ北部の山岳地域に住む少数民族・アカ族。彼らは長年様々な迫害を受け、未来に希望を見出せない生活を余儀なくされてきたという。この現実に心を痛め、17年にわたり支援の手を差し伸べ続けてきたのが原田義之氏である。原田氏の信条、そして傘寿を超えてなお現地へ向かい続ける氏の思いに迫った。

はらだ・よしゆき

昭和18年福島県生まれ。慶應義塾大学商学部(山桝ゼミ)を卒業後、現・近畿大阪銀行に入行。その後フジマサ機工を経て、ゼオテック社長に就任。平成18年退任。20年NPO法人タイ国学生日本語教育環境支援プロジェクトを設立し、理事長に就任。25年タイ国チェンライロータリークラブ会長に就任。現在、タイ国国立ダムロンラットソンクロ高校日本語教師を務めると共に、タイ少数民族アカ族の就学支援を続けている。

80歳を過ぎてなお北タイの支援に赴く

──原田さんは、長年北タイに住む少数民族・アカ族の支援を続けてこられたそうですね。

64歳で会社経営から身を退いて、これからは奉仕の人生を生きようと決意しましてね。現職時代に仕事で赴いていたタイで、極貧生活を余儀なくされているアカ族の子供たちのことを知り、2009年から現地へ足を運んで支援をするようになったんです。気がつけば今年(2026年)で17年、私も6月で83歳になります(笑)。

──傘寿さんじゅを越えたいまも現地へ。

「行動でする奉仕」が私の信条ですからね。いまも2か月に1回、約20日間現地に滞在して活動しています。平日はタイ北部の街・チェンライの国立ダムロンラットソンクロ高校(以下、ダムロン高校)で日本語講師のボランティアを務め、週末にチェンライから約20キロ離れた山奥のアカ族の集落へ支援物資を届けに行くんです。

──アカ族とは、どんな方々なのですか。

北タイの山岳一帯に14万人が住むといわれ、長年地勢的な逆境に翻弄ほんろうされ続けてきました。
彼らは、約800年前にモンゴルの襲来を受けてチベット山中へ移り住みました。生活の手段は焼畑農業で、30年サイクルで南下し、100年ほど前に北タイへ住むようになりました。しかし先の世界大戦後に国境線が引かれ、タイの国に組み込まれた彼らは、移動の自由を制限され、唯一の生活手段であった焼畑を禁止されるなど、様々な差別や迫害を受けて極貧生活を余儀なくされてきたんです。

──そのような民族がいたとは。

さらに大変なのが、言語の問題です。彼らの常用語はアカ語ですが、タイ国に組み込まれたために母国語は馴染なじみのないタイ語になりました。子供が成人してタイ社会で生きていくためには、タイ語の習得が必須ですが、学校は彼らの住む山から何10キロも下りた所にしかないので、とても通学なんかできません。


日本の皆さんはピンとこないかもしれませんが、母国語ができないまま大人になっていくというのは本当に怖いことなんですよ。彼らはまともな仕事に就けない上に、北タイ一帯はゴールデン・トライアングルといわれる世界的な麻薬取引地帯でしてね。男の子は苦しい家計を支えるために麻薬の運び屋になり、女の子は夜の街で働かされ、そこから売春、エイズ罹患りかんという悲惨な道を辿たどることになるんです。私は、アカ族の子供たちをこの現実から救い出したい一心で、様々な支援を続けてきました。


支援金を募るために、私はこれまで本を2冊出版し、講演を465回行ってきました。私のささやかな誇りは、いただいた浄財は金額を公にしてすべて支援に投入し、他の目的では一切手をつけてこなかったことです。

──集めたお金は、純粋に支援のためだけに投じてこられたと。

渡航費や現地滞在費など活動に必要な諸々の費用は、自分の貯金や年金で賄ってきました。必要経費はすべて自分持ちというのが私のポリシーなんです。
奉仕活動にもいろんなやり方があるでしょうけれども、私は対価を求めることなく、ゼロから見える世界を追求してきました。そこには、やった人でないと見出せない本当の喜びがあるんですよ。

アカ族の子供たちと。彼らの〝輝く瞳〟に強く惹かれ、いまも現地へ支援に赴く

子供たちの〝輝く瞳〟に惹かれて

──アカ族の支援を始められたそもそものきっかけは。

前職でタイへ赴任していた時に、たまたまテレビで現地の小学校の様子を見ました。学校とは名ばかりの粗末な施設で、床に座って本を読む子供たちの靴下は穴だらけ。後ろの本棚にはボロボロの本が横積みにされていました。


けれども私は、子供たちの〝輝く瞳〟に強くかれたんです。自分の幼い頃の、戦後間もない貧しい時代の日本の姿と重なるものもありましてね。私は彼らに本をたくさん読ませてあげたいと願って毎年図書を贈り始めたんです。

──元々奉仕の精神に富んでいた。

原点にあるのは、裁判所で調査官を務めていた父の姿です。恵まれない生い立ちから犯罪に手を染めた少年たちの審判にも数多く携わり、「この子に親がおれば……」と心を痛めていた父の姿が、いまでも脳裏に焼きついています。


実際に奉仕の精神を学んだのは、50歳を過ぎてロータリークラブに入会してからですね。ただ、私は何事も人に言われてやるのが大嫌いで(笑)。クラブの行事として皆で参加するウィ・サーブの奉仕に満足できず、アイ・サーブ、自ら発心して手づくりの国際奉仕を追求してきたんです。
そういう中で、先ほど触れたように小学校への図書の寄贈を始め、さらにタイで日本語を学ぶ子供たちの支援を志しましてね。還暦を過ぎてからタイ語を学び始め、日本語教師の資格を取って、ダムロン高校の日本語教師をボランティアで務めるようになったんです。

──最初は、図書寄贈や日本語教師を務められていた。

そうして15年寄贈を続けて記念の催しが行われた時に、アリヤさんというアカ族の青年が参加されて、「アカ族の子供たちを助けてほしい」と涙ながらに支援を求められました。学校へ通えない子供たちのために「夢の家」という寮を運営していた彼を通じて、私は初めて先ほどお話ししたアカ族の実態を知ったわけです。

行動でする奉仕と現地目線を信条に

──そこから具体的にどんな支援をしてこられたのですか。

私の奉仕活動の1丁目1番地が、先ほどお話しした「行動でする奉仕」、それから「現地目線」です。まず自ら現地へ赴いて、実情をしっかり確認した上で支援金を募るんです。


アリヤさんにお願いして「夢の家」を訪ねてみると、そこは寮といっても茅葺かやぶきの掘っ立て小屋でした。子供たちはボロボロの服を着ていて、寝床は土の上に竹を並べてよれよれのビニールシートを敷いただけ。中には伝染病を媒介する蚊が飛び交っていました。すぐにロータリーの仲間に協力をお願いして、蚊帳かやとゴザをプレゼントすると、子供たちは飛び跳ねて喜んでくれました。


さらに寮の増改築などを通じて生活環境を整えると共に、子供たちの識字率を高めるために図書の寄贈も始めました。
また、寮生の大半は極貧家庭の子や親のない子たちなので、彼らが学び続けられるように、日本から里親を募って年間5万円の学費支援をしていただいています。
それから、北タイの水は硬水で直接飲めず、子供たちは常に健康をおびやかされていたので、これまで50か所以上で浄水器を設置してきました。

──必要な手を一つひとつ打ってこられた。

支援に当たって勉強になったのが、ノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌスさんの「真の貧困者への支援は、生活サイクルの構築」という言葉です。私はこの言葉を踏まえて、寮にヒヨコや豚、鋤鍬すきくわを提供しました。彼らが鶏や豚を育て、畑を耕すことで日々の食料を賄い、市場で売って学費を得ることで自活のサイクルが回るようになるんです。


また、同じくノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんは、「1人の子供、1人の教師、1冊の本、そして1本のペンで世界を変えることができます」とおっしゃっています。

この言葉は、私が日本語教師や子供たちの識字率向上支援を続けていく上で、大きな支えになりましたね。…(山さんが涙目を洗いに行った2度目のフレーズカ所です…私の極貧生活の子供時代と空気が重なったのでしょうかね…)


寮を訪れた時は、識字支援をしたり、ハーモニカを吹いて日本の歌を教えたりします。1,000人以上の子が、日本語で「ふるさと」を歌えるようになりました。おなかを空かした子供たちにとって何よりの楽しみが昼食です。

いただいた支援金で食材を調達し、ムカターという北タイの肉料理を振る舞うんですが、彼らにはほとんど口にすることのできないご馳走ちそうです。皆の笑顔に囲まれて過ごす時間は、私にとって至福のひと時といえますね。

「勉強したって家にお金は入らない!」

──支援を続ける上では、いろんなご苦労もあったことでしょうね。

5年前に熊本の方が1人の女の子の支援を引き受けてくださいましたが、その子は3年後の高校1年生の時、夏休みで山の実家へ帰ったまま寮に戻ってきませんでした。心配して彼女の実家を訪ねると、父親から「娘を結婚させたよ」と言われて愕然がくぜんとしました。無識字のアカ族の親たちは、子供の教育にほとんど無関心なんです。


里親の方からは、「原田さんの勧めで長い間面倒を見てきたのに、私の3年間の支援はすべて無駄になったのですね」と責められ、返す言葉もありませんでした。


コロナの時には、タイ政府指定のホテルで14日間隔離生活を続けた後、交通機関がほとんど機能していない中で苦労して北タイの山へ赴きました。正直、思い出したくもないくらい大変でしたが、持参した生活物質を受け取った子供たちの輝く瞳と笑顔を見た時は、思わず嬉し涙がこぼれましたね。

──子供たちの輝く瞳に、それまでの苦労も吹き飛んだ。

特に印象に残っているのが、サイルンさんという女の子です。彼女は中学を優秀な成績で卒業し、校長先生の推薦でチェンライのトップ高校に特待生として進級することになりました。大喜びの彼女に連れられて、私は家族が待つ山の家へ報告に行きました。ところが父親は険しい表情で「子供が生まれて家族が9人になったから、これから生活が大変だ」と。


結局、高校が始まってもサイルンさんは寮に戻ってこなかったので、実家へ様子を見に行ってみると、彼女は目に涙を浮かべながら炎天下で畑仕事をしていました。寮の方が父親に「寮費は要らないから、彼女に高校へ行かせてやってほしい」と懸命に説得するのですが、「勉強したって、家にお金が入るわけでなし!」と吐き捨てるように言うんです。

──それでどうなさったのですか。

中学校に彼女のことを相談すると、郡立特別学校制度というのがあって、事情があって就学を中断した生徒も、生活が改善して学べるようになった段階で進級できるというんです。私はその話を携えてもう一度父親の説得へ行きました。前回同様にべもなく拒否されたのですが、「サイルンさん自身の考えも聞きましょう」と粘ると、「分かった、あなたの言う通りにするよ」と、とうとう娘の高校進学を認めてくれたんです。


話を聞いたサイルンさんは、涙を流して喜んでくれました。帰途につく私たちにいつまでも手を振り続けていた彼女の姿が、いまでも脳裏に浮かびますよ。

原田氏を親のように慕う現地の子供たち

17年の実践を通じて見えてきたもの

──苦労を上回る喜びがあるから、現地へ向かい続けるのですね。

タイに移住して私より前から支援活動に尽力なさっていた豊田武雄さんがおっしゃいました。


原田さん、この国で真の奉仕に身を置くと、宝石箱のふたを開けたような素晴らしいきらめきに出合えますよ」


17年間支援を続けてきたいまでは、この言葉が私自身の実感になりました。きょうまで活動を続けてこられたのは、たくさんの心優しい方々の支えがあったおかげです

中でも熱心な支援者の方々は、毎年2回「輝く瞳に会いに行こう 全国大会」という会合を開いて私の支援談義に耳を傾けてくださり、また子供寮を慰問してくださっているんです。

──続けてきたからこそ、支援の輪が大きく広がってきた。

継続の力というのは身を以て実感しています。

この活動を通じて、私は4つの学びを得ました。
1つは、まさしく「継続は力なり」を体感できたことです。


2つ目「奉仕三方よし」の大切さ。これは私の造語で、まず支援をしてくださる方から放り投げるようにお金を預かったことはありません。「どうぞよろしくお願いします」と快く預けてくださいます。そして支援先に「余計なことをするな」と不快な思いをされたこともなく、いつも「支援してくれてありがとう」と喜ばれています。そして、奉仕をする私自身が楽しい。楽しいから80を過ぎても現地へ通い続けているんです。

学んだことの3つ目は、先ほど触れた「現地目線」。現地の困り事を十分理解し、本当に必要な支援をすべきです。
残念なのは、現地で支援活動をする日本人の姿をほとんど見かけないことです。観光で首都のバンコクを訪れる方は多いのですが、バンコクだけを見てタイを語ってほしくないし、できれば北タイに足を運んでいただきたい。私は心からそう願っています。


寮には家庭に恵まれない子も多く、皆私を親のように慕ってくれます。私が寮へ行く日には、到着する1時間も前から外に出て待ってくれていて、寮を後にする時には千切れんばかりに手を振って別れを惜しんでくれるんです。

──それこそが17年に及ぶ奉仕活動の原点といえそうですね。

この17年で、寮から約800人の子供たちがタイ社会へ巣立っていきました。彼らの中には、日本留学を実現したり、司法試験合格を果たした子もいます。


最近の講演では私の年齢を気に留めて、この先の支援はどうなるのかという質問が必ず出ます。

幸い、10年前に立ち上げた基金を通じて金銭的な支援を継続する仕組みはできていますし、自ら発心して自分なりの支援を実践してくださる方も確実に現れてきています。
また現地でも、学ぶことの重要性が理解されるようになり、寮の運営に卒業生が携わるようになったり、先輩が下の子に本を読んであげるようになったり、支援を受ける一方だった彼らの間に自立のきざしも現れてきているんです。まさに「続けてこそ道」。私のこれまでの奉仕活動を語る上で、これ以上の言葉は見つかりませんね。


最後に、活動から得た4つ目の学びを申し添えておきます。「人生、いまが一番若い」。この心意気で、私はこれからも奉仕の人生を歩み続ける考えです。

…と、まあ、このような地道な活動を継続する方の「心」こそ「無形(形而上)の宝」ですね…

…イーロンマスクのスペースエックスが過日IPOにより株式公開を果たし、彼は地球85億人の中の一人目の兆万長者として、てっぺんに登り詰めました…これはこれで空前絶後の偉業…

…かたや、名も無き「善意の心」が星の数ほどおられることでしょう…

…また一方では、未だに領土拡大を錦の旗に突き進む国とその丞相…

…自己の欲望のみに国民や他国民の「命」に上に居座ろうとする者…

…世の中って、…人生って、…生きるって、…なんざんしょう?(-_-;)

今日はここまで(-.-)

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