20260621 山さんブログ その-145 サブタイトル:人は皆 立場で生きて 花咲ける 道なき路に 実りを埋めて  - 【静岡県東部エリアの不動産売却】センチュリー21ワンズエステート

静岡県東部エリア専門 不動産売却査定センター

お気軽にお問い合わせください 0120-439-051

来店のご予約
お問い合わせ

購入をお考えの方

  1. スタッフブログ
  2. 20260621 山さんブログ その-145 サブタイトル:人は皆 立場で生きて 花咲ける 道なき路に 実りを埋めて 

スタッフブログ

20260621 山さんブログ その-145 サブタイトル:人は皆 立場で生きて 花咲ける 道なき路に 実りを埋めて 

…今日はそんな心模様で、今週ブログ当番の最終日となります…今週は7日間、お休み無し…仕事は休んでますよ…ナンセこの歳、そこそこに、こそこそしながら、仕事があるときだけの気ままなリズム…

…で、今日は、月刊誌「致知」から、4名の生真面目人間「随想記」から、それぞれの生き様をご紹介します…いずれも市井(しせい)に生きて、目的を失うことなく、目立たないものの、着実な日々の積み重ねで、世に「一灯を照らして」います…ホント、「致知」の編集部門は、毎回毎号、このページに相応しい人たちを何処から探してくるのでしょう…少なくとも、私に声がかからなかったことは先見の明…と言うべきか(;_;)…

…んっ(ё_ё)、論外だろう~ってか(-_-;) そうなんだけど~(^o^)、夢でござるよ(^^;)…

…夢を見て 夢から覚めて 夢に生き 夢破れても 夢見る老爺(ろうや)…そっ、私の事よ(^.^)…

…そうなんです…昨今の老人に必要なのは、夢、目的、教養、体力、そして運…んっ(ё_ё)、それは若い子に分けてやれってか? 

…いいよ~、盗れるものがありそうなら何なりと…

…というリズムで、今日は、致知の「随想」ページをご紹介しましょう…1人分、5分もあれば読めるから、全員分読むのだぞ~(-_-;) きっと、ためになる…やる気になる…貴方次第だが…

…ということで、最初の方は…

かりゆし社長 親泊(おやどまり)昌代 さん

タイトル:誠実に接すれば必ず伝わる

沖縄の方言で幸せを意味する「かり」と、呼び込むという意味を持つ「ゆし」を掛けた名を冠し、訪れるお客様の幸せを願って沖縄県でホテルを運営すること64年。創業者のたいせいざぶろう・スミ子によって、客室14室から始まった「かりゆし」は現在、県内に6つのホテル(計840室)を展開しています。

2025年から社長を務める私が当社との縁を得たのは、2021年のこと。新型コロナウイルスの影響で客足が止まり、当社の売り上げは約100億円から約20億円まで落ち込む大打撃を受けました。

その一方で、注力できていなかったサービス品質向上に取り組む好機とも捉えた現オーナー会長・平良ちょうけいは、そのかじ取り役として、ある会合でつながりのあった、同じくコロナで社員の出向を進める日本航空(JAL)から、客室乗務員を登用したいと考えました。

そこで白羽の矢が立ったのが、客室乗員部室長としてサービス品質の向上・人財育成に当たっていた私でした。客室の経験に加え、沖縄出身で当社にもみやすいと考えた平良会長の強い思いがありばってきいただいたのです。

出身が沖縄県那覇市という土地柄、米軍基地の存在などもあり、私は幼い頃から英語に興味を持っていました。小学生で英語教室に通い始め、中高には海外でホームステイや留学を経験。そこで初めて飛行機に乗った感動、英語を使って仕事がしたいとの思いから客室乗務員をこころざしました。

1985年、20歳でJALに入社。現職に繋がる転機となったのは2010年、46歳の時です。いつものようにフライトから帰宅しテレビをつけると、突然JALの経営破綻はたんを知らせるアナウンスが流れてきたではありませんか。青天のへきれきでした。

共に空を飛んだ先輩や同僚たちが次々と去る中、この仕事以外に天職はないと覚悟を決めて、私は会社に残ることを決断しました。先の見えない不安と闘いながら業務に当たる中で心の支えとなったのが、再建を引き受けた稲盛和夫会長の存在でした。

就任会見で稲盛さんは、再建を引き受ける大義をお話しされ、中でも、残された3万2,000人の従業員の雇用を守るという思い、そしてこの大仕事を無償で引き受けるという無私の姿勢に思わず涙があふれました。当時、機内の客室乗務員のリーダーであるチーフパーサ―を務めていた私は、以来リーダーたる者のかがみとして、稲盛さんを強く意識するようになったのです。

稲盛さんは、フィロソフィとアメーバ経営という両輪を以てJALを2年8か月という驚くべき速さで再上場へと導きました。リーダーとして特に学ばせていただいたことの一つが、メンバー一人ひとりの意識を高める重要性です。

正直に言えば、再建当初は私自身、フィロソフィの効果に半信半疑でいました。いくら稲盛さんの熱が込められているとはいえ、これを読んで何が変わるのかと。しかし、一日また一日とフィロソフィの実践を重ねるうちに、それまで違う方向を向いていた社員との一体感や、問題を自ら解決するのだという当事者意識、愛社精神の芽生えを肌で感じるようになりました。すべての結果は一人ひとりの心の持ちようと行動で決まる。その真理を学んだのです。

客室乗員部室長になった後も、稲盛さんの教えをもとに人財育成に当たりました。そして2021年、56歳の時、前述した経緯で当社に2年間の出向となりました。

改革に際しても、私が実践したのは、やはり稲盛さんの教えでした。求められていたサービス品質向上という課題に対して、初めこそ接客マニュアルの作成や接遇講習など、接客に特化した取り組みを行いましたが、いくら技術や知識を高めても、社員の意識を高め、ベクトルを合わせなければ組織は発展していかない。現に着任当時、コロナ禍の不況を受け、社員の顔には不安の色が見えました。

すべては一人ひとりの心の持ちよう次第。JALの教訓から、一体感や当事者意識、愛社精神を育み、イキイキと働く社員を増やしたいと強く思いました。そして、平良会長の賛同と経営陣からの後押しを得、稲盛さんの哲学を基に「かりゆしフィロソフィ」を制作したのです。その後、「人間として何が正しいかで判断する」「一人ひとりがかりゆし」「売上を最大に、経費を最小に」「渦の中心になれ」など、これらフィロソフィの勉強会を開始し、浸透を図りました。

また、信頼されなければ社員はついてきません。約550名のスタッフの顔と名前を覚え、率先して声をかけることも心掛けました。

出向期間はもちろん、出向を終えた後も業務委託契約の形で勉強会を担当し、実際に社員の様子を見てきましたが、回を追うごとに、最初は沈黙が目立っていた場に、うなずきや議論、笑顔が格段に増えてきていることをとても嬉しく思います。誠実に接すれば必ず伝わる。これは私の心からの実感です。

2024年にはJALを定年退職。出向中の働きを評価していただき、正式にかりゆしに籍を移しました。2025年には社長を拝命。現在、売り上げはコロナ禍の約20億円から約70億円まで回復し、いよいよこれからという思いです。今後も社員の意識を高め、お客様に心から喜ばれるサービスをお届けする。そしていつか「沖縄といえば、かりゆし」と世界中の方々に認知されるホテルになることを願って社業に邁進まいしんします。以上。

…いやいや、何処にも居るものですね…心で仕事する温か人間…それにしても、5分の1まで落ち込んだ売上を、よくぞ…

…ここで一首…

稲盛の 教えを受けし 弟子の技 心と気合い 生き写しにて

…では、次の方をご紹介しましょう…

マークスライフ社長 花原浩二 さん

タイトル:求めるよりまずは与えること…

兵庫県豊岡市で生まれ育った私の人生に転機が訪れたのは1995年、高校3年生の時でした。阪神・淡路大震災が起こり、実家は無事だったものの、大学受験を控えて訪れた神戸で想像を超える惨状を目の当たりにしました。

倒壊した家、ブルーシートでおおわれた街並み。 美しい神戸の姿は消え、ただ静かに広がるれきの光景が残されていました。地震に負けない家をつくり、人の命を守りたい。強烈な思いが湧き上がってきて大学卒業後の1999年、大手ハウスメーカーの大和ハウス工業に入社したのです。

分譲住宅の営業職に配属され、兵庫県三木市で街開発や住宅の建て替えに携わりました。とりわけ学びになったのは、大和ハウスの中興の祖である樋口武男さんの教えです。

「企業は儲けるためではなく、世の中の困り事を解決するためにある」。この言葉を信条とし、一人ひとりのお客様に誠心誠意寄り添うことで、2011年には横浜支社の所長を任されました。

しかし、現場で働くうちに違和感が芽生えました。開発や住宅供給は重要である一方、少子高齢化の影響で街には空き家がどんどん増えている。家を建てるほど、将来の空き家をつくっているというジレンマにおちいっていきました。

そんな折、父が他界。職を転々としながらも、地元で愛されていた父の葬儀には大勢の方々が駆けつけてくださいました。涙を流して父との別れを惜しむ参列者の姿を目にして、「不動産を通じて社会問題を解決し、私も父のように人から必要とされる人生を送りたい」と思い至り、独立を決意したのです。

ただ、不動産業はハウスメーカーとは畑違いです。不動産業を営む知人から「不動産業界を理解せずに起業するのは危険だ。うちの休眠会社で経験を積むといい」という助言を受け、雇われ社長としてNIKKEI MARKS(現・マークスライフ)を横浜で創業しました。2016年、39歳の時です。

「世のために。人のために。」という企業理念の下、創業からの3年間は中古物件の買取再販に注力。安定した事業基盤を築いた2019年、自社の株式を買収したことを機に、空き家問題の解決を通じた社会貢献に踏み出しました。

その最たる例が、「じょうぶつ不動産」です。成仏不動産とは、孤立死や自死などで人が亡くなられ心理的な影響が残る、いわゆる事故物件の買取のみならず、遺品整理から供養までを一括してサポートするサービスのこと。

手間が掛かる上、利益に繋がりにくい事故物件は多くの不動産会社から敬遠される傾向がありました。しかし、物件所有者様の大半が苦労されている。目の前で困っている人を助けたい一心で、2019年から開始しました。

何より心懸けたのは、私の信条である「求めるより、まずは与えること」です。

例えば、事故物件は適正な価値よりも低く評価されてしまうケースが少なくありません。物件本来の価値を見出すために、ご逝去直後にご遺族や関係者が最初に接点を持つご葬儀会社との連携を模索しましたが、単に「不動産情報をください」とお願いするだけでは、私の信条に反します。

そこで、葬儀単価が下がっていること、葬儀後に相続した不動産の多くが空き家になることに着目。空き家に困る相続人様を当社に繋いでいただいた場合、ご葬儀会社にも本業外収益が入る仕組みを構築しました。ご葬儀会社の課題解決も含めた「三方よし」のビジネスモデルを提案することが、提携先拡大の原動力になりました。

当然、順調に事が進んだわけではなく、事故物件を扱っていると公にしただけで、銀行から取引中止を言い渡されたこともあります。しかし、我々を必要とする方がいる以上、撤退の二文字が脳裏をよぎることはありませんでした。

中でも忘れられないのは、うつ病のご主人が自死された関東の戸建てです。奥様が薬をもらいに病院に出掛けている間の出来事でした。その直前、ご主人は奥様を玄関までお見送りされ、「ありがとう」と言ったそうです。

「死ぬまでここに住むと思って家を大切にしてきた。まさかこんなことが起きるなんて……。うつ病は怖いです」

奥様のお話を伺い、思わずハッとしました。自死は漠然と怖いものと思っていましたが、うつ病は病死と言えるのではないか。そして一つひとつの家に誰かの思い出があり、人生がある。物件の背景にある人の思いに敬意を持って扱うことこそ、私たちの使命なのだと確信したのです。

自分の利益を度外視し、世のため、人のために尽くす。挫けそうになる度、この原点に立ち返り、辛抱強く挑戦を重ねることで、メディアに取り上げられるなど、少しずつ依頼が増えていきました。

2024年からは、専門家と連携し、介護や相続などの実家にまつわる悩みを引き受ける「じつまど」を開始。2025年の売上高は約78億円、従業員数は約240人、東京や大阪をはじめとした20か所にオフィスを構え、全国各地から寄せられる相談に応じています。

一介のサラリーマンだった私が新たな課題解決型ビジネスを生み出すことができたのは、世の中の困り事を解決したいという信念の下、一所懸命進み続けたからだと思います。目先の利益を追わず、困っている人の肩の荷を下ろし、前を向く手助けをする。求めるよりまずは与えることで、見えない力に導かれるように自ずと結果はついてくると、私は信じています。以上。

…この、「成仏不動産」…最初に目にした時は、ふざけた名前を付けた会社だなあ(-_-;)、と軽々と考えておりましたが、ナンカ、じんと来ましたね…素晴らしい(^^)/~~~

…ここで一首…

…吾もまた 瓦礫の中を 歩みきて 不動産行(この字でOK) 終わりなき如…

…で、次の方は…

スポーツX執行役員 高橋純一 さん

タイトル:スポーツの力で地域に笑顔の花を咲かせる

鳴り止まぬ歓声と熱狂、大人も子供もなく夢中になって応援し、時に涙を浮かべて喜び合う観客の姿。小学生の時に目にしたこの光景への強い憧れが、現在取り組む仕事の原点となりました。

私が役員を務める「スポーツエックス」は、京都府に拠点を置き、複数のスポーツクラブを経営しています。J3の「福島ユナイテッドFC」やJリーグの下部カテゴリーである関西サッカーリーグ1部の「おこしやす京都AC」、東北社会人サッカーリーグ1部の「福島ユナイテッドFCセカンド」など、とりわけ地方に根差したクラブの経営を通じて地域活性化を果たすべく取り組んでいます。2017年に9名で設立、現在は社員約40名、所属選手は約80名の規模に拡大しています。

1985年、宮城県仙台市に生まれた私は学生時代、地元のプロサッカークラブ・ブランメル仙台(現ベガルタ仙台/J2)を応援することが大好きな少年でした。観戦の度に、自分自身はもちろん、普段物静かな父親さえ熱狂させるほどのスポーツの力に魅了されたのです。

高校で進路を考え始めると、人々に感動を与えるスポーツ業界に裏方として携わりたい、という思いをおぼろながら募らせていきました。それでも、当時のプロスポーツ業界はいまほど成熟しておらず、思いを内に秘めたまま、2008年、一橋大学を卒業すると東京電力へ就職しました。

東京電力では電気工事の受付業務などを担当。転機となったのは、3年目の終わりでした。2011年3月11日、東日本大震災により、福島第一原子力発電所の事故が発生したのです。営業所には批判の電話が鳴り止まず、受話器を手におびを繰り返す日々。お客様の声や報道でせいさんな実態を知る度、心苦しさとやるせなさに襲われました。

もんもんとする日々から救ってくれたのは、やはりスポーツの力でした。震災から間もない4月23日、自宅のテレビでベガルタ仙台の一戦を目にしました。強豪の川崎フロンターレを相手に白熱した試合を展開。「被災地の希望の光になろう」という手倉森てぐらもり誠監督(当時)の言葉通り、終盤のゴールで劇的な逆転勝利を収め、被災地を熱狂させたのです。

終了のホイッスルと共に喜びを爆発させ、涙を浮かべてほうようする観客の姿を目の当たりにし、幼き頃に胸を熱くしたあの感覚がよみがえってきました。

「やっぱり夢を追いかけたい。スポーツの力で人々を笑顔にしたい」

東京電力で被災地の復興に尽力したいという思いや葛藤もありましたが、かねて望んでいたスポーツ業界への挑戦を決め、震災から約10か月が経過した翌年1月、夢への第一歩を踏み出しました。

新天地としてご縁をいただいたのが、当時JFLに所属していた「藤枝MYマイ FC」。地域企業にスポンサーや株主になっていただく法人営業を担当しました。

前職を含め法人営業の経験がなかったことから、「1日3商談」を掲げ、とにかく場数をこなしていきました。また、朝から夕方までの商談を終え、夕食を済ませると、同僚や代表と共に商談の振り返りを実施。評価と反省を踏まえ、次の商談の戦略立てを夜中まで行いました。そんな日々を約2年間続け、地域企業の課題解決に資する提案力を磨いていったのです。

さらに、週末は隔週でホームゲームの設営撤去、チケット・グッズ販売など運営に携わり、文字通り仕事漬けの毎日を送りました。業務量は圧倒的に増えましたが、夢に向かって汗を流す日々は充実感に溢れていました。

何より、観客の皆様が喜ぶ姿、「自分の会社がスポンサーをしていることが誇らしい」というスポンサー企業の声など、地域の方々の笑顔が原動力になりました。

もう一つ大きな支えとなったのが妻の存在です。転職当時は経営も赤字状態、収入は東電時代の4割ほどと決して簡単ではない挑戦でした。現に両親をはじめ、妻自身も反対の立場でしたが、先の見えない状況の中、最後は転職、そしてクラブの拠点である静岡への移住を決断してくれました。転職後は子供も生まれ、朝から晩まで働く私に代わって、家事や子育ての大部分を背負ってくれていたのです。

当時を思うと申し訳ない気持ちでいっぱいですが、仕事に邁進し、苦しい局面を乗り越えることができたのも妻の支えあってこそと、心の底から感謝しています。いまでは妻や子供、両親が応援に駆けつけてくれており、ある試合を観に来てくれた妻の「素敵な空間だね」という一言は、大切な記憶として、いまも私の心に深く刻まれています。

営業では、最終的に約130社のスポンサーを集め、この実績も一助となりクラブは黒字化を果たすことができました。経営の安定に伴い、チームの成績も上向き、入社後2年でJリーグに昇格する躍進を遂げたのです。

2017年にはクラブの経営を地元企業に譲渡し、代表を務める小山淳を筆頭に、9名の同僚と共に「スポーツⅩ」を創業。創業から9年が経過した現在は前述の3クラブの経営に当たっています。

40歳、まだまだこれからという思いですが、今後も覚悟を持って難局を切り拓き、スポーツを通じて地域に笑顔の花を咲かせる。その一心で精進する思いです。以上。

…若いね~、これからまだまだ華を咲かせそうな人ですね…楽しみだ(^^)/~~~因みに運動音痴の私は、スポーツで熱くなった経験が薄いのです…負けてばかりの経験が、私を歪ませたのかも…

…で、ここでも一首…

鳴り止まぬ エールを受けて 奮い立つ ひとりは皆に 皆はひとりに

…ということで、ここも次に進みましょう…

…最後は、私より少し若いかな?と思える方みたい…

表千家不白流師範、(株)セブンオークス・パブリシング社長 小野里保徳 さん

タイトル:茶の湯に学ぶ日本の心…

私が師範を務める小野里おのざと茶の湯クラブでは、江戸時代に表千家第七代家元・じょしんさいてんねんの命を受け、江戸で千家茶道を広めた川上はくを流祖とする表千家不白流をけいしています。主な稽古場はぎょうせん公園内の茶室「源心庵」(東京都江戸川区)で、初心者向けの見学・体験会も随時受けつけており、茶の湯を楽しく学ぶことを大事にしてきました。

また、茶の湯を通じた地域の方々、海外の方々との文化交流にも積極的に取り組んでいます。この4月(2026年)には、ニュージーランドの高校生と先生16名のお客様、町会の皆様6名を招いての大寄せの交流茶会を開催しました。参加者一人ひとりに茶をてる体験をしていただいたのですが、終始和気あいあいとした雰囲気で、皆とても喜んでくださり、素晴らしい国際交流の場となりました。

茶の湯を体験することによって、日本文化を学ぶだけでなく、異なる文化背景を持った人同士が親睦しんぼくを深め、心を通わせ合うことができる。そのような茶の湯の持つ力、楽しさをもっと多くの人に伝えていきたいという思いを日々強くしているところです。

とはいえ、私自身、茶の湯を本格的に習い始めたのは60歳を過ぎてからで、もともとは日本の伝統文化とは関係のない人生を歩んでいました。大学卒業後、20年以上勤めた出版社では、車雑誌等の編集長として携わっていました。

人生の転機となったのは、出版社を退職し、各種出版物の企画・編集、デザイン・取材・執筆・撮影を行う会社を立ち上げたことでした。ジャンルを問わず様々な企画提案をしていく中で、日本文化をテーマにした隔月の雑誌を出版することになったのです。

歌舞伎であれば歌舞伎というように、毎回一つのテーマを決めて深掘りしていくのですが、その中で日本の伝統文化を担う方々に接し、だんだん興味が出てきたのです。

各界一流の方々の仕事を見ていることもあり、当初は自分が実際にその世界に飛び込んでいくのは難しい、編集者の立場に徹しようと思っていました。しかし取材で話を聞くだけでは、どうしても物足りなさが残り、自分も実践してみたいとの思いが抑えられなくなっていきました。

そこで何を習おうか考えたところ、身近にあったのが表千家不白流でした。実は義理の母が若い頃から表千家不白流を稽古し、当時師範として教えていたのです。さっそく義母に弟子入りし、仕事をしながら稽古に向き合う日々が始まりました。これが2014年、66歳の時です。

やはり話を聞くのと実際にやってみるのとでは全然違い、「自分に向いているかもしれない」と、茶の湯の奥深さにのめり込んでいきました。

義母には作法の手順、型を一から優しく指導していただきましたが、私はそれに留まらず、早朝に起きて型の稽古に打ち込み、また千利休、茶の湯の歴史や教えに関する書物も勉強していきました。稽古で義母や他のお弟子さんのまえを見、それを早朝、一人黙々と復習・検証する。現在も続けているこの独学の習慣が、上達する上でとても大きかったように思います。

実際、義母に6年ほどご指導いただいて以降は、御家元直門の先生の弟子となってけんさんを重ねていきました。茶の湯にはたくさんの点前、型がありますが、その一つひとつに意味があります。直門の先生は、自分が「これでいいのかな?」と違和感を覚える部分を的確に指摘してくださり、とても自然体で点前ができるようになるのです。

ですから、私が日々の稽古や型を覚える際に最も心がけているのは、例えばしゃくの置き方一つにしても、常に自然体であるということです。自然体──これは茶の湯だけでなく、あらゆる分野に通じることではないでしょうか。

そうして日々稽古、努力を続け、2023年、師範の免状をいただきました。ちょうどその頃、高齢の義母が引退したこともあり、残されたお弟子さん7人のうち3人が私のもと(小野里茶の湯クラブ)で稽古を続けてくれることになりました。

現在、新たに入門してくださった方を含めた8名で稽古しています。

師範といってもまだ道半ばですから、自分が学びつつあることをお弟子さんと共有していくというスタンスで指導しています。また茶の湯は長く稽古すればそれだけ「茶の湯の心」が身につくことになりますので、とにかく長く続けてもらえるよう、できる限り楽しく学べる雰囲気づくりを意識しています。

日本には伝統文化といわれるものはたくさんありますが、有名な「び」や「おもてなしの心」など、茶の湯ほど日本の心を感じられるものはないのではないでしょうか。

例えば、茶の湯の佗びの心を表すものとして利休が好んだ和歌を一つご紹介します。

花をのみ  待つらん人に  山里の  雪間の草の  春を見せばや 

(藤原いえたか)冬の雪間に芽を出した草に、春を見出す心が佗茶の心である。

これはつまり、春は何処どこにでもあって、真の春は、それを把握する人の〝心〟にあるということです。

茶の湯には、私たちの人生を豊かにしてくれるヒントがたくさん詰まっています。これからも茶の湯に込められた日本の心を一人でも多くの方と共有していくべく、この終わりなき研鑽と学びの道を歩み続けていく思いです。

…うんっ、これはこれで、中身のあるオハナシですね…還暦を超えてから新たな生き方にチャレンジ、素晴らしいですよね(^.^)

ともあれ、この方の写真は見つからず、代わりに私の写真を貼り付け…訳ワカランね…

…そうなんです…これぞAIの技…

…ここで一首…

自然体 これがなかなか 難しい 格好つければ ずっこけるもの

…と言うことで、今回はここまで~、また2ヶ月ほど、おさらばザンス<(_ _)>

ご予約フォーム

無料訪問査定または無料現地調査査定はこちらから

ご来店予約と、メールでのご質問もこちらから

かんたんAI査定

不動産査定AIが即査定額をお答えします無料

不動産情報を入力してご希望の査定タイプをお選びください

即座に査定結果が分かります

※30秒査定は物件データベースを元に自動で価格を計算し、ネットで瞬時に査定結果を表示させるシステムです。