こんにちは。センチュリー21 ワンズエステートです。
いつも買い物や通勤で通る沼津の中心街。「昔はどのようなまちだったのだろう」と考えながら歩いたことはありますか。
今回は、沼津駅周辺から旧東海道、狩野川周辺へ。「宿場町」と「城下町」という二つの顔を手がかりに、見慣れたまちの歴史をたどってみましょう。

江戸時代の沼津宿は、江戸・日本橋から数えて東海道五十三次の十二番目の宿場でした。箱根を越え、三島宿を経てきた旅人たちを迎える場所だったのです。
当時、上本町と下本町には、大名などが宿泊する本陣が置かれていました。また、通横町には、宿場の輸送を担う問屋場がありました。現在の駅前だけでなく、旧東海道沿いにも、まちのにぎわいの中心があったことがわかります。
旅の途中で宿を探す人、荷物を運ぶ人、商いをする人。
今の街並みに、そんな人々の姿を想像してみると、普段通り過ぎている道も少し違って見えてきそうです。

沼津の中心街には、宿場町の歴史に加えて、お城を中心に発展した歴史も重なっています。
安永6年(1777年)、水野忠友が、かつて三枚橋城があった場所に沼津城を築きました。以後、明治維新まで約90年間、水野家がこの地を治めました。
沼津城の本丸があったのは、現在の中央公園の辺りです。市の文化財案内では、公園にある本丸跡の碑や、公園南東に残る石垣の遺構が紹介されています。大きな城の建物が残っているわけではありませんが、中心街の一角に、お城の記憶が受け継がれています。
「ここがお城の中心だったのか」
そう思いながら周囲を見渡すと、今のまちと昔のまちが、少しだけ重なるように感じられるかもしれません。

城下町の歴史を知るうえで、立ち寄りたい場所の一つが城岡神社です。
神社の由緒によると、文政7年(1824年)、沼津城二代城主の水野忠成が社殿を造営し、城の守護神を祀りました。現在の「城岡神社」という名称になったのは、明治36年(1903年)のことです。
お参りの際には、願い事をするだけでなく、この場所とお城とのつながりにも思いを巡らせてみてはいかがでしょうか。

明治の初め、旧沼津城の二の丸御殿は、沼津兵学校の校舎として使われました。初代頭取、現在の校長にあたる役職には西周が迎えられ、語学や数学など、西洋の学問を取り入れた教育が行われました。城岡神社の境内には、この学校を伝える碑が建てられています。
武士の時代を支えたお城が、新しい時代の人材を育てる場所へと変わる。
沼津の中心街には、江戸から明治へという大きな時代の転換も刻まれているのです。

散歩の締めくくりには、狩野川周辺へ足を向けてみましょう。
かつて川沿いには船着場があり、魚町や仲町は、水運や漁業の拠点としてにぎわいました。沼津の発展を支えたのは、東海道を行き交う人々だけではなく、川を利用した物の流れでもありました。
街道を歩く旅人と、川を行き交う船。
目の前の風景に昔の営みを重ねると、沼津が人と物の集まるまちだったことを、より身近に感じられそうです。

今回の歴史散歩では、城岡神社、中央公園周辺、旧東海道沿いの本町・通横町、そして狩野川周辺を、立ち寄り先として挙げました。
立派な建物が残っている場所だけが、歴史を感じられる場所ではありません。石碑を読むこと、地名を気に留めること、昔の風景を想像することも、まちを知る楽しみの一つです。
次のお休みには、いつもより少しゆっくり、沼津の中心街を歩いてみませんか。
私たちセンチュリー21 ワンズエステートも、住まいの情報とともに、地域を知る楽しさをお届けしていきます。
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