こんにちは。センチュリー21 ワンズエステートです。
いつも通る道や、買い物に出かける街。何気なく眺めている風景にも、「昔はどんな場所だったのだろう」と思ったことはありませんか。
この連載では、沼津をエリアごとに分け、それぞれの地域に残る歴史をご紹介していきます。
初回は、これから訪ねる沼津のまちを、少しだけ歴史の視点から眺めてみましょう。


江戸時代、東海道の宿場町として栄えた「沼津宿」と「原宿」。今では同じ沼津市内ですが、それぞれが旅人を迎える宿場としての歴史を持っています。旅人が休み、泊まり、再び歩き始める。そんな人の往来が、まちのにぎわいを支えていました。
普段は車で通り過ぎる道も、「かつて旅人が歩いた道」と考えると、少し違った景色に感じられるかもしれません。
沼津の中心部には、宿場町だけでなく、城下町としての顔もあります。
安永6年(1777年)、水野忠友が、かつての三枚橋城の跡に沼津城を築きました。港町・宿場町として発展してきた沼津に、城下町としての性格が加わったのです。
「このあたりにお城があったのだろうか」
そう想像しながら歩くことも、歴史散歩の楽しみの一つです。中心街を取り上げる回では、お城の歴史と現在の街並みを重ねてみたいと思います。
島郷周辺に目を向けると、皇室ゆかりの歴史に出会います。
沼津御用邸が造営されたのは、明治26年(1893年)。当時皇太子だった大正天皇のご静養のために設けられました。温暖な気候や美しい景観に加え、明治22年(1889年)の東海道線開通によって東京からの交通の便がよくなったことも、設置の背景に挙げられています。
海辺の風景を眺めながら、かつてここで過ごした人たちの時間に思いを巡らせてみるのもよさそうです。
内浦には、戦国時代の海の争いを伝える長浜城跡があります。長浜城は、北条氏の水軍の根拠地だった重須湊を守るための城と考えられています。穏やかな海の風景にも、戦国の歴史が重なっています。
一方、戸田には、ロシア人と日本の船大工たちが協力して洋式帆船「ヘダ号」を建造した物語があります。安政2年(1855年)、完成した船は、プチャーチンらの帰国のために戸田を出航しました。地域の船づくりが、国を越えた交流につながった歴史です。
同じ海沿いのまちでも、そこに残る物語は一つではありません。
歴史散歩は、年号をたくさん覚えるためのものではありません。
「この道には、どんな人が行き交ったのだろう」
「この地名には、どんな由来があるのだろう」
そんな小さな疑問が、身近な地域をもっと知る入口になります。
この連載が、皆さまにとって、沼津のまちを歩いてみたくなるきっかけになれば幸いです。
次回は「沼津駅周辺・旧市街編」。宿場町と城下町、二つの歴史が重なる中心街を訪ねます。
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