こんにちは。センチュリー21 ワンズエステートです。
地域の歴史と暮らしをご紹介する「三島まちの記憶」。今回は、錦田・箱根旧街道の入口周辺を取り上げます。
三島から箱根へ向かう道沿いには、松並木や一里塚など、昔の旅をしのぶ風景が残っています。今回は、錦田一里塚を手がかりに、街道とともに歩んできた地域の歴史をたどってみましょう。(city.mishima.shizuoka.jp)
錦田という地域の歴史を知るうえで、まずご紹介したいのが、かつての「錦田村」です。
1889年(明治22年)、谷田村、川原ヶ谷村、竹倉村、中村、玉沢村と、箱根西坂にある五つの新田の計10か村が合併し、錦田村が誕生しました。その後、1941年(昭和16年)4月29日に三島町と合併し、三島市としての歩みが始まります。錦田は、三島市の成り立ちにも深く関わる地域なのです。(city.mishima.shizuoka.jp)
普段目にする地域の名前をたどると、現在のまちが形づくられるまでの歴史が見えてきます。

江戸時代、東海道を歩く旅人にとって、箱根越えは大きな難所でした。
箱根旧街道は、三島宿から箱根峠を越え、小田原宿へと続く約32キロメートルの道です。このうち、三島宿から箱根峠までの区間は「西坂」と呼ばれます。標高約25メートルの三島宿から、標高846メートルの箱根峠へ向かう道のりでした。(city.mishima.shizuoka.jp)
これから山道へ向かう旅人は、どのような気持ちで歩き始めたのでしょうか。街道の歴史を知ると、三島の東側の風景にも「箱根越えの入口」という意味が重なってきます。
街道沿いに残る「錦田一里塚」。名前は聞いたことがあっても、何のために造られたのか、詳しく知らない方もいらっしゃるかもしれません。
一里塚は、旅人が距離を知るための目印です。1604年(慶長9年)、徳川家康が江戸の日本橋を起点に築造を命じたことで知られ、街道沿いに一里、約3.9キロメートルごとに設けられました。(city.mishima.shizuoka.jp)
錦田一里塚は、国道1号を挟んで南北に二基一対の姿を残しています。道路の拡幅などによって失われた一里塚もあるなか、対になった姿を見られる貴重な史跡です。1922年(大正11年)3月8日には、国の史跡に指定されました。(city.mishima.shizuoka.jp)
今なら地図やスマートフォンで確かめる道のりを、昔の人はこうした塚を頼りに把握していたのですね。

錦田一里塚の周辺には、箱根旧街道の松並木が残っています。その北側にあたる初音ヶ原は、富士山を望む場所としても知られ、晴れた日には一里塚の下にある小さな広場から富士山を眺めることができます。(city.mishima.shizuoka.jp)
昔の旅人も、このあたりで足を止めて景色を眺めたのでしょうか。
そんな想像をしながら風景を見ると、松並木も、遠くに見える山も、単なる景色とは違った印象になるかもしれません。

箱根旧街道といえば、石畳を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
しかし、江戸時代の初めから石畳だったわけではありません。雨が降るとぬかるむ道に、当初は滑り止めとして箱根竹を敷いていました。それでも十分な改善には至らず、1680年(延宝8年)に石敷きの道へ改修されました。(city.mishima.shizuoka.jp)
現在、三島市内では願合寺、腰巻、浅間平、上長坂、笹原の各地区で、発掘調査をもとに復元整備された石畳を見ることができます。錦田の入口周辺からさらに箱根方面へ目を向けると、旅人の通行を支えた道の工夫にも出会えます。(city.mishima.shizuoka.jp)

一里塚や並木、石畳は、かつての旅の様子を伝える大切な手がかりです。こうした街道の歴史を伝える「箱根八里」は、2018年(平成30年)5月24日に日本遺産に認定されました。(city.mishima.shizuoka.jp)
住まいを探すときにも、間取りや設備だけでなく、周辺の道や風景に目を向けてみてはいかがでしょうか。その地域の歩みを知ることで、これから暮らすまちへの親しみも深まるように思います。
センチュリー21 ワンズエステートでは、地域の魅力もお伝えしながら、住まい探しをお手伝いいたします。三島でのお住まいをお考えの際は、お気軽にご相談ください。
次回は、「山中城から知る戦国時代の三島――箱根西麓に残る歴史」をご紹介します。
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