こんにちは。センチュリー21 ワンズエステートです。
住まいを探すとき、交通の便や買い物環境とともに知っていただきたいのが、そのまちが歩んできた歴史です。
この連載では、三島市をエリアごとに取り上げ、地域の歴史や街並みの背景をご紹介します。第1回は、三嶋大社と旧東海道の周辺。門前町と宿場町、二つの顔を持つ三島の歩みをたどります。(city.mishima.shizuoka.jp)
三島の歴史を知るうえで、まず押さえておきたいのが「伊豆国の国府」です。
国府とは、現在の県庁に似た役割を担った、国の政治の拠点のこと。奈良時代の三島には伊豆国の国府が置かれ、国分寺や国分尼寺も建てられました。三島は古くから、伊豆の政治や文化を支える場所だったのです。(city.mishima.shizuoka.jp)
その歩みに深く関わってきたのが、三嶋大社です。三島は国府のあるまちとして、そして大社の門前町として発展してきました。(city.mishima.shizuoka.jp)

三嶋大社の創建時期は明らかではありません。ただし、その信仰は古く、奈良・平安時代の書物にも記録が残されています。伊豆半島や伊豆諸島の噴火・造島、海上交通に関わる信仰を背景としてきた神社です。(mishimataisha.or.jp)
歴史上の人物では、源頼朝とのつながりがよく知られています。
伊豆に流されていた頼朝は、源氏再興を願って三嶋大社に繰り返し参拝したと伝えられています。三島から韮山にかけては、その往復にまつわる伝承も残されています。頼朝以降、大社は多くの武士からも篤い信仰を集めました。(city.mishima.shizuoka.jp)
参拝の際には、こうした歴史を思い浮かべてみると、境内の風景も少し違って感じられるかもしれません。

神社や寺院の周辺に、人々の往来とともに発達したまちを「門前町」と呼びます。
三島は三嶋大社の門前町であると同時に、江戸時代には東海道五十三次の宿場町として、多くの旅人を迎える場所になりました。東には険しい箱根越えが控えており、旅の途中で立ち寄る重要な拠点だったのです。(city.mishima.shizuoka.jp)
大社前は、東西に東海道が通るだけでなく、北へ甲州道、南へ下田街道が延びる交差点でもありました。参拝する人、街道を行き交う人。それぞれの目的を持った人々が、この場所で交わっていました。(city.mishima.shizuoka.jp)

当時の三島を想像する手がかりの一つが、歌川広重の浮世絵です。
東海道五十三次の「三島 朝霧」には、早朝の三嶋大社前で、霧の中を箱根方面へ出発する旅人が描かれています。三島宿を描く浮世絵では、大社前の情景が繰り返し題材にされました。(city.mishima.shizuoka.jp)
昔の絵と今の風景を見比べながら、「旅人たちはどんな気持ちで箱根へ向かったのだろう」と想像するのも、まち歩きの楽しみ方ではないでしょうか。

三島は、三嶋大社への信仰と街道の往来が重なりながら発展してきたまちです。(city.mishima.shizuoka.jp)
普段通る道にも、何気なく眺めている風景にも、長い歴史がつながっている。そう考えると、暮らすまちへの親しみも深まるように思います。
センチュリー21 ワンズエステートでは、物件の情報だけでなく、地域の魅力もお伝えしながら住まい探しをお手伝いします。三島でのお住まいをお考えの際は、お気軽にご相談ください。
次回は、「楽寿園と源兵衛川――水の都・三島の歴史と暮らし」をご紹介します。
参考資料
三島市公式ホームページ「三島の歴史を紹介します」「歴史(市のプロフィール)」「鎌倉時代」「江戸時代」、三嶋大社公式ホームページ「三嶋大社について」。
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